私たちが住む明海地区は、昭和40年代までは海苔やアサリなどを採っていた「海」を埋め立てたことにより出来上がった新しいまちです。このことから、ほとんどの人たちが他のまちから移り、いま住んでいます。新しいまちで、新しい人たちの集まりですから、まちづくりを進めていく上で「人と人とのつながり」がとても大切なことではないかと考えました。
そこで私たちは、スポーツ&文化活動を通じて地域のコミュニケーションがとれればよいのではと考え、平成18年4月から文部科学省が推奨する「総合型地域スポーツクラブ」の立ち上げにむけて準備委員会を設け、委員の皆さんや自治会の方々とともに話し合いを持ちながら、その準備を進めてまいりました。
いろいろなスポーツ&文化活動を通じて、子供から高齢者の方まで幅広い世代が、健康の増進や体力の向上を図り、地域の交流を深め、地域のさらなる活性化に寄与し、そしてわがまち「明海」のシンボル的存在になり明海出身の方々にとって「心のよりどころ」となりうる総合型地域スポーツクラブを設立したいと考えております。
つきましては、明海地区を中心とした市民の皆さんにぜひともこの趣旨にご賛同いただき、本クラブ設立へのご支援、ご協力を賜りますとともにより多くの皆様のご参加をお願い申し上げます。
総合型地域スポーツクラブ明すぽ 運営委員会 委員長 猪鼻 剛
明海総合型地域スポーツクラブ 設立セレモニーより 委員長挨拶
この明海地区で、総合型地域スポーツクラブの立ち上げを担当していた猪鼻でございます。 本日は、悪天候にもかかわらず、ご出席いただいております来賓の皆様には心より感謝申し上げます。
また、このクラブの趣旨に賛同して、今日までいろいろと協力をしてくださいました専門クラブやテニス愛好家の皆様、さらには明海地区のすべての皆様に心から感謝申し上げます。
さて、今日ここに「総合型地域スポーツクラブ明すぽ」を立ち上げたわけでありますが、ご覧のように外は最悪の天候でございます。しかしながらものは考えようで、一番最悪からのスタートということであとは上昇するしかないわけです。自虐的な発想ではありますが、またとない、そしてこのクラブらしいスタートとなったわけであります。
私からは以下に3つのことを申し上げて開会宣言ならびに設立準備委員会委員長としての挨拶とさせていただきます。
まず一つ目ですが、このクラブ立ち上げの歴史を簡単に紹介いたします。 平成18年4月この地に、明海中学校と明海南小学校が開校いたしました。それと同時に、この両学校の施設を利用して、明海地区に総合型地域スポーツクラブを設立できないものか?という呼びかけがそもそものことのはじめでございます。そこから1年目の活動として地域の自治会、PTA、そして明海地区で、既にスポーツ活動をされている方々を中心に「総合型」の勉強から始まりました。2年目からはその趣旨を考え、深堀を行いながら、実際にこの両学校の施設使用を開始しました。その間にも、設立準備委員会ではこの施設を使用したスポーツフェスタを開催、また夏祭りにそれぞれのチームが参加したりして、その活動を推し進めてまいりました。そして、今日、正式に「総合型地域スポーツクラブ明すぽ」として立ち上げることになったわけであります。
二つ目にそもそもの総合型地域スポーツクラブのことを申し上げておきます。 スポーツ振興法に基づくスポーツ振興基本計画では、2010年までに国民の半数を週1回以上の運動習慣をつけることを目指す、とうたっています。これはどのようなことか、と申しますと、飽食のこの世の中、簡単に好きな食べ物が手に入ることができ、日本国民の生活は潤った反面、高血圧、心筋梗塞や脳卒中といったいわゆる生活習慣病の予備軍が増加している状態です。国民の健康、いわば生命を守るためにも、手軽に運動習慣を身につけることを国策として展開する、その手段の一つが全国に総合型地域スポーツクラブを設立していこうというものです。
この総合型地域スポーツクラブとは、次に申し上げる3つの多様性をもって活動していこうというものです。その3つの多様性とは①種目の多様性、②レベルの多様性、③年代の多様性であります。簡単に表現しますと、自転車や徒歩で通える場所に、自分の好みにあった種目が選べ、自分のレベルに応じたスポーツ活動ができ、さらに、その仲間としてお年寄りから子供まで、さまざまな年代層と交流を持ちながら運動をし、健康で充実したライフスタイルを実現していくというものであります。また、当然健常者だけがスポーツをするものでなく、何らかの障害をお持ちの方でも、自由にスポーツを楽しむことができるのも総合型の特徴であります。
現在、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが開催されていますが、将来、この明すぽから 巣立った選手が表彰台に上がったり、はたまた、パラリンピックでも活躍する時代がくることを私は夢みております。
三つ目にこのクラブの存在意義を申し上げておきます。 この明海という町は、昔からあった町でなく、海を埋め立てその地を開発して出来上がった町です。私の記憶では12年前の1998年くらいでは、明海の町の最南端の建物はセブンイレブンで、その先はただの原っぱだったと記憶しています。すなわち、ここ10年で急速に発展した町であって、そのほとんどの方々が他の地域から移り住んだ人たちであります。何を隠そうこの私も6年前にこの明海の住民になったわけです。
ここで、私のふるさとのことを少し紹介します。私のふるさとは同じ千葉県の佐倉市角栄団地でありまして、昭和40年代に宅地開発によって生まれた町であります。私の親の世代がこの宅地開発で出来上がった町の初代の住民となり、その子供の世代が私たちだったのです。我々その子供の世代が成長し、親元を離れ生活をしだした今、その町がどういう状況になっているかといいますと、初代の住民だった親の世代はほぼ、定年退職をし、子供は独立し、いわば第二の人生を営んでいるわけです。しかしながら働き盛りの我々の世代30代、40代はその町に戻らず、人口がどんどん少なくなってきています。その結果、当然我々の世代がいないのですから子供たちも少ない状況で、町並みは活気がなくなり、ひっそりとして しまっているわけであります。
明海地区も将来、2,30年したらこのような状況に陥るのかもしれません。そこで、私は私なりに考えてみました。私のふるさとがなぜ、そのような状況に陥ってしまったのか?そして、この明海地区がそうならないためにはどうしたらいいのか?
その答えとして、原因のひとつに考えられるのが「その町のシンボル」であり「その町の誇り」がなかったことです。何よりその町を愛する気持ちが住民になかったといえると思います。
そこで、この明海地区にも「明海のシンボル」であり「明海の誇り」となりうるものはできないか?と考えたとき、私にできうるものとして、スポーツを通じて、明海のシンボル、誇りとなりうるものを作りたいと思った次第であります。
よって、この総合型地域スポーツクラブ「明すぽ」の存在意義は、単にスポーツ愛好家たちの寄せ集め、寄り合いでなく、明海のシンボルであり、誇りとなりうるものでなくてはならないのです。そして、何より一人一人がこの明海という地域、 まちを愛し、誇りに思えるものでなくてはならないのです。
今日、ここにいる小学生たちもいずれ成長し、我々の手元からはなれ、他の地域に巣立っていくときがきます。成長し巣立った彼らがいつかは育った明海に戻りたい、なぜなら、明海の町のシンボルであり、誇りとなる明すぽがあるから、と言ってもらえる日が来ることを私は切に願っているのです。
これで、私のあいさつを終わりにしたいと思いますが、今私が申し上げた趣旨がほんのちょっとでも皆さんの琴線に触れたのなら、その思いを皆さんのご家族や友達にも伝えていただければ幸いです。 これからも、この明海のために、皆さんで力をあわせがんばっていきましょう。 本日は、本当にありがとうございました。